2008年7月29日付『ル・モンド』記事
共同監護が戦いとなる日本
東京特派員
「2年前、私が仕事に行っている間に、妻は1歳9ヶ月になる私たちの息子を連れて家を出ていきました。一番最近私が息子に会ったのは1月で、1時間だけでした。」この匿名希望の日本人男性と同じように、毎年16万6千人ほどの日本人および外国人の親たちが、別居後自分たちの子供に会う権利を奪われている。それには理由がある。司法の場が、いまだ明治時代から引き継がれた家族構成原理を前提に機能していて、そこでは面接交渉権も共同親権も認められず、また一方の親による子供の奪取も犯罪とはみなされていない。
「日本における現行の法律の状況では、先に子供を連れ去った親のほうが監護権を得るのです」と京都産業大学講師のリシャール・デルリュー氏は日本の親権に関する報告の中で語っている。彼自身子供を奪われ、現在SOS Parents Japan会長を務める。「裁判所は誘拐行為を黙認している」と彼は付け加える。「誘拐した親は子供を新しい住居に6ヶ月間住まわせてしまえば、もう一方の親に対して裁判の上で有利になり、それは監護権の獲得にとって決定的となるのです。」
こうしたやり口はあまりに一般化しており、時には配偶者間の枠をはみ出しても行われる。「私の妻は2年前にがんで亡くなりました」と回想するのはアメリカ人男性のポール・ウォング氏である。「それ以来、私の娘は亡妻の両親のところに住んでいます。私が娘を引き取ろうとすると、彼らは私を裁判所に訴えたのです。」裁判所は妻の両親の方に有利な判決をし、ウォング氏は親の権利を奪われてしまったのである。
時には母親のほうがこうした奪取の被害者になることもある。アエコ・マサコさんは、自分の元夫と13歳の息子がどこに住んでいるか知らない。その二人は、家族が住んでいたカナダの裁判所で共同監護つきの離婚が決められた後に日本に戻ってしまった。
しかしながら、全体の8割のケースにおいて、子供とのすべてのコンタクトを失うことになってしまうのは父親のほうである。スティーヴン・クリスティーのケースを見よう。彼はアメリカ人で、日本人妻と別居-離婚ではない―しているが、裁判所の外ではもう3年以来息子に会っていない。「わたしは東京家庭裁判所の一つの部屋で息子と一緒に1時間過ごすことができましたが、ずっとビデオカメラによる監視つきでした」と彼は語る。「わたしは質問することが許されませんでした。もし私が質問をしたならば、息子の方は答えないようにとの指令を受けているので、面会は中断させられてしまったでしょう。」
結婚の基本的義務(同居と相互協力)に反するこうした状況、子供を連れて家を出て行くことが奪取とみなされないこうした状況は日本における法律上の空洞の存在を指し示している。「問題は、家族法というものが、それぞれの家の独立性を侵さないように作られたものであるということです」と弁護士で法学教授の棚瀬孝雄氏は説明する。「法は家庭問題には介入しないのです」
監護権の問題は配偶者双方の間で交渉の対象となる。もし合意が不可能な場合には、最後の手段として裁判所に判断を求める。しかし裁判所の決定は、離婚の際にはどちらか片方の親だけが親権を持つことになるという-日本の法律にはっきり記されている-原理にのっとって行われるのである。
この原理は明治時代の遺産である。「1868年以降、新しい家族法が家長父制的側面を助長した」と1984年に『国際社会学研究誌』に書いたのがトキツ・ケンジ氏である。この法律は1945年に「平等主義的構造」に取って代わられたが、「実践には程遠い」状況のままである。こうした文脈の中ではいつも「家の維持と存続」に強調点が置かれた。離婚の際に親のどちらか一方が家族から、つまり「家」-日本語で「ウチ」-から外に出ることになるのである。そして前の家とは全く関係のない別の「ウチ」を作るのである。
「西洋においては、子供にとって最も重要な利益とされることは、両親双方に会うことである」と在外フランス議会議員のティエリ・コンシニ氏は言う。「日本では、子供が安定した形でひとつの家に住むということが最も重要な利益とされる」。日本政府は、子供が両親に会う権利に関するニューヨーク条約を1994年に批准したものの、状況は何も変わっていない。
面接交渉権は、法解釈として現れるのみで、正式に認めさせることが困難なままにとどまっている。大阪在住のフランス人は次のように語る。「私が離婚成立の条件として月2回息子に会う権利を認めさせようとしたとき、調停会議および私の元妻の両方に明らかな無理解を感じました。」
「離婚の際、面接交渉権が与えられた場合でも、それは普通1ヶ月に1回のみである」とデルリュー氏は指摘する。2割のケースにおいて面接交渉権が与えられるが、法律的空洞および裁判所側の強制力の欠如のために、監護権を持つ親が面接交渉を拒否することが可能になってしまっている。
これらの問題は、とりわけ日本人親の間で多くの反発を引き起こし始めている。日本社会も変化が進み、父親が子の教育にますます深く関るようになるにつれ、子供との別離はますますつらいものになっている。
もう一つの要因は、諸外国による外圧であるが、これは激増する国際結婚(1995年には27,427組だったのが2006年には44,701組)とその40パーセント以上が離婚するという状況の帰結である。子供の奪取事件-多くの場合、続いて慰謝料請求、さらには外国人親の文化の否定が来るが-はヨーロッパ各国および北アメリカ諸国の領事館の統計したところによると、159件にのぼり、そのうち40件はアメリカ合衆国、30件はイギリス、そして20件がフランスとなっているが、実際の数はもっと多いと考えられる。
アメリカ国務省は、日本に行く旅行者たちに対する注意事項のなかで、次のように指摘している。知られている限りにおいて「一方の親によってアメリカ合衆国から奪取された子供のうち、日本の裁判所の命令によって、アメリカに帰ってくることができたというケースは一件もない。」
EUの議長国がフランスになったことで、日本における面会拒否の問題を優先課題として取り上げることになったようである。ヨーロッパとアメリカ合衆国、そしてカナダの連携が本格化する模様である。
SOS Parents Japanおよび何人かの議員と共に、18の日本の協会が7月13日に東京でデモを行った。彼らの要求は、特に国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約を批准すること、別居及び離婚した両親に対する面接交渉権を日本の法律に明記すること、そして家庭裁判所に決定を遵守させるための強制手段を与えることである。
5月10日付の朝日新聞には、ハーグ条約の批准は2010年に行われる模様とある。しかし法務省は明言を避けている。
家族法検討委員会のメンバーである弁護士の中村多美子氏は状況を全く楽観していない。「日本社会はまだこの問題について議論を進展させる状況になっていないと思います」と中村氏は嘆く。「政界、そして法曹界もふくめ、大多数の人々はいまだに共同親権が問題を増大させ、子供を混乱させてしまうと思っているのです。」
フィリップ・メスメール
(亀訳)